栗原研究室

既成概念にとらわれず自由な映像作りを行ってゆこう!

栗原康行(教授)

 「原点回帰」 映像作りの原点へ帰ろう。長いこと映像や番組作りの一線にいて、本当に自分の作りたいものを作ることから遠ざかっていたようにも思う。自分をアーティストだと言うつもりはない。アートとしての映像だけで食べていけるほどの才能はない。そして、そんなことのできる「映像作家」に出会ったこともない。だとしても、自分が「なぜ映像に携わろうと思ったのか」を忘れてはならない。「あるある~」の事件に代表されるようなことや、視聴率のみに一喜一憂したり、興行収入だけを目的としてみたり、「社会の中で映像を作ってゆく」という行為はいろいろな柵に巻き込まれる。だからこそ、大学の研究室では自由な映像作品を標榜したい。特にテーマも手法も(アニメーション、ドキュメンタリー、ドラマ。実験映画など)問わない。自由な風のように、どこまでも自由な作品を作っていきたい。そして作っていって貰いたい。それこそが実は(あるいは、それだけで)「映像世界のアルカディア」なのだ。どんな前例にもとらわれず、しかしながら温故知新、築かれた分野の歴史も大切にしたい。我々は既成概念にとらわれず自由な映像作りを行ってゆこうではないか。

栗原康行(教授)

種類は何でもいい。ドキュメンタリーでもドラマでもアート作品でもホーム・ムービーでも何でもいい。重要なのは思いついたら作ってみることだ。才能は無くたっていい。心配には及ばない。「才能」だけで大成したアーティストもスポーツ選手も見たことがない。逆に努力だけで大輪の花を咲かせたアーティストや映像作家、企業人、スポーツ選手など枚挙に暇がない。(さら言えばそういう人の活躍に触れることほど人を感動させるものはない。)とにかく作ってみる。カメラで撮ってみる。すると身の回りに「見えるもの」を如何にわれわれは「視ていない」のかが見えてくる。日常の生活の中にある感動的な夕日を見るのにわざわざ南の島に行く必要はない。雨の水溜りに写る景色は本当に見る価値のないものなのだろうか?木陰ではためくその辺の布切れは意味がないのだろうか? やがて自分が撮影したものを友人に見せ始める。編集し始める。自分の「想像」していたものと違うものが、「創造」されていることに気がついたり、自分の撮った素材に、自分が教えられたり(あるいは気づかされたり)、インスパイアされたりすることがある。 ものづくりとは頭の中だけで考えるのでなくそういう側面がある。「我々は想像(創造)するフィールド・ワーカーであろう!」